島食の寺子屋に入塾したきっかけを教えてください。
母が食事に気を遣っていたこともあって、普段から野菜や魚中心のご飯を食べていました。なので、私にとって食というと、和食が一番身近に感じていました。社会人になって、和食に関する色んな本を手に取るようになった時に、「その土地のその時に取れるものを食べることで体がその季節を乗り越えられる」という和食の考え方や、自然との繋がりがすごく近いことなど、とても関心を持ちました。
和食を知識としてだけじゃなくて、自分自身が実際に住んで肌感覚として学べたり体験できたりするというのが、島食の寺子屋を選んだ大きなポイントのひとつです。
あと、ゆくゆくは家庭料理を広めるようなことをしたいとも思っていたので、広めていく為にも和食の基礎を学んでおきたいと思ってました。ただ、料理の技術だけを学んで一流の料理人になるというキャリアは考えていませんでした。だから、暮らしながら自然を感じながら技術を身に着ける、そういった島食の寺子屋独自の「食」との距離感だったりとかと、自分の探し求めていたことがマッチしましたね。
島食の寺子屋での在学中で、記憶に残るエピソードはありますか?
入塾して間もない頃に、課外授業で筍を掘りにいくことがあって。
確か当日の朝に「筍掘りに行こうか」って、ちょっとそこらに行こうかみたいな軽いのりで言われて。
ちょいちょいちょいって抜くもんだと思っていたら、意外に山の中に入っていくし、急斜面で掘り返したりと思いのほかハードで。みんな次の日めっちゃ筋肉痛になるみたいに。
かと思いきや他の課外授業では、重装備で準備してと言われて臨んでみたら、ぜんぜん楽に10分くらいで終わるものだったり。自分自身が、自然との距離感がわかっていなかったなと。1年を通して、すごい振り回されていました(笑)
あとは湧き水問題。
校舎だけじゃなくて、シェアハウスで料理に使う水も湧き水と決めていて。でも、湧き水は雨が降ったりすると濁るんです。なので、天気予報を見ながら、雨の日の前は使う水を節約したりして、水をきらさないように、みんなで水の管理をしていました(笑)
今思えば笑ってしまうような話ですけど、素で自然のことを考えていた時期でもあったなと思います。
あと授業のことでいうと、授業も思い通りに進むことなんてないですよね(笑)
離島キッチン海士の仕込みがあって、「今日ここまで仕込みを終わらせないといけないよね」って時に、稲刈りの日程と被ることもあって。
今のこのタイミングでしかできない稲刈りもやりたいし、仕込みも進めないといけないし、生徒間で時間をずらして交代制で行くこともあったり。すごく切り替えが求められましたね。
生活も授業も食材も、人間の思い通りにいかないのが島食の寺子屋ですね。
島食の寺子屋での振り回された1年間。学べたことは?
校舎でも家でも、どっちでも料理をしていて、料理に対する考え方というのが自分の中でも変化する1年でした。料理との距離が密すぎて、「料理とはこれだ」って答えは、卒業した直後には、逆に簡単には表現できない感覚。
「これを学んだ」というよりかは、学びの渦に飲み込まれて、凧のようにぐるぐる回って、ポンって島から出てきた感じ。ひたすら目の前に現れる出来事や食材に一生懸命しがみつくので精一杯でした(笑)
でも、やっぱり外に出て色んなことに触れていくと、自分が何を学んだのか段々浮き出てくるように見えてくる。
例えば包丁のことで。
在学中は「1年のうちで色んな事を学ばなくちゃ」ってなって、いつも焦っていました。
「まずは包丁」ということは先生から何度も言われていたけど、自分としては包丁だけで料理ができるようになった気がしないから、もっと他のこともいっぱい勉強したいって思っていて。
けど、実際に働き始めてみると「包丁って大事だな」って思うことが多々あって。料理にまつわることって、食材に対して自分が思うように包丁が使えて切れたりするか、から全てが始まる。
現場に入ると、それがすごくわかるようになってきて。
包丁の使い方で食材の味は変わってくること、見栄えも変わること。どんなにいい食材でも切り方が思い通りにいかないと、火入れも変わってくるし、味の染み込み方もバラけてくる。
どんな料理にしても、「切る」ということが根本だったんだなって今は思えます。それをちゃんと徹底してやろうという先生の意味が、現場に入った今になってわかるようになりました。
決められたように食材を切るってことは、誰にでもできそうなことなんだけど、意外と難しくて。在学中当時は、包丁もままならないのに、包丁以外のことをもっとやりたいって、偉そうに生意気言っていましたね(笑)
あと、料理の組み立て方ですけど。
島食の寺子屋だと、「今この食材があるからこうしよう」って考える癖が、今でもあって。
逆にいうと、食材がなにも決まっていないなかで料理を考えてくださいってことが苦手で。それが良いことか悪いことかわからないし、自分の熟練不足かもしれないですけど。
なんにも制限がないと、食材って無限にあるわけだから、そこから組み合わせを考えるのって難易度が高いなって思います。
だけど、市場に行って美味しそうな旬の食材に目星をつけて買って帰ってきて、その食材をどう使ったらいいかと考えるのであれば、自然とメニューが出てきますね。
もうひとつは、思い通りにいかないことに対して動じなくなりました。
毎日メニューを変えるような飲食店だったりすると、お客さんの数が毎回読めないんです。40名分仕込んでいて、ある日は40名来ない時もあるし、60名来るときもある。その足りない20名分をドタバタで追加で作るとか。
他には、朝にご飯を炊いたつもりが炊けていなくて、急遽メニューを変更するとか。ドタバタする現場に対しての耐性はつきました。もちろん、職場によってドタバタするところもあれば、ドタバタしないところもありますけどね。婚礼であれば、ずっと前から決まっていることがあってドタバタはないけど、当日にミスはできないという別の緊張感はありますし。
カリキュラムの中にある「離島キッチン海士」での実践授業はどのような存在でしたか?
私は島食の寺子屋に入るまで飲食の経験がなかったので、離島キッチン海士で実際にお客様に料理を提供する実践授業で、飲食店の現場の雰囲気や感覚を卒業する前に得られていたのは大きかったです。
就職活動する時に「飲食の経験はありますか?」って聞かれて、まったくのゼロよりかはあった方で良かったと思った記憶があります。
料理学校だけ出た人より、実践も積んで現場経験がある人の方が採用しやすいのかなって。
在学中の私にとって、離島キッチン海士はどちらかというと苦手でした。
決められた時間の中で、色んなことを一定のレベルまで同時に求められるというのが自分の性格的に苦手で。
島食の寺子屋を卒業して現場に出てからの1年間も、「やっぱ向いていないのかな」と思うことが沢山あって。けれども、一緒に現場に入っていた店長の方が、てんぱっていた私のことを上手くフォローしてくれて。
それを半年くらい続けていくうちに動きがわかってきて。
なおかつ、常連のお客さんと話して顔を覚えてもらうようになったり。
自分の中で「しんどい」とかのマイナス要素より、「顔なじみのお客様に料理を通して接することができる」っていうプラスの面白さも見つけられる余裕が出てきたのが大きくて。それで、今も続けられているんだと思う。
料理を作るだけじゃなくて、お客様の顔が見えながら、会話しながら仕事するっていうのが、自分の性格にも合っているんだと思います。
今の働き方をするに至った経緯は?
就職活動中に山田奈美さんという料理家さんと出会って。色んな人と出会ってきた中でも「この人に学びたい」って思って。
ただ、アシスタントという立場で、それだけでは生活が成り立たないので、掛け持ちが必要になって。「まちの社員食堂」とのご縁もあって、そこで働きながら奈美さんのところにも通う1年を過ごしていました。
また別の知り合いが、婚礼の料理を出す「MAYA」で、キッチン足りてなくて、来ない?面白い職場だよと紹介してくれて。そこでも面白いシェフと知り合って、そのご縁のお陰で「料理ってこんなに面白いものなんだ」って気付かせてもらって。そういうことを繰り返しているうちに仕事が3つになりました。
そして、奈美さんの生徒さん繋がりで魚の捌き方を教えて欲しいとか、子供が生まれるからその間1ヵ月間限定で何かしら1週間分のおかずを持ってきてほしいとかのお話を頂いていて。そういう時は自分の仕事として承っています。
去年1年が特に踏ん張りどころでした。
今までは、正社員としてしか働いたことなかったし。色んなことをしながら生計をたてていくという経験もなくて、自分一人でなんとかしなくちゃって感じた1年で、ナーバスになった時期もありました。
だけど、時間が経つにつれ、私の場合は誰かのもとにずっと付き続けるっていうのは、私の中の選択肢になかったことに気付いて。
そう考えるのであれば、例え今が大変だったとしても、まずは自分が学んでみたい人のもとで学んで、それが将来の肥やしになると思って。
最終的に自分で何かをやっていけるようにしておきたいし、それまでは学べるものを学んでいきたいです。色んなことをやりながら進んでいくのは、フリーランスとしてやっていく宿命だと思います。
最終的な夢はどのようなものですか?
食事をつくることや、食事をどのように食べるか、というのが大切だと思っていて。
大事な人でもいいし、家族とか友達とかでもいいし、人と食卓を囲むということそのものを、伝えていきたいし、自分もそういった場に関わっていきたいという気持ちがあります。
食を通じて、色んな人とどのように繋がれるかは常に考えていて。
どう繋がるのかというのは、箱型のお店になるのか、料理教室のような形なのか分からないのですが。「食卓を囲む」というキーワードにしながら、繋がり方は模索中です。
もし島食の寺子屋に戻ってこれるとしたら、どのようなことを学びたいですか?
鞍谷先生みたいに、ずっと日本料理をやってきた人の所作であったり、食材に対しての見る眼だったり、そういうのを改めてじっくり見たいです。もっと見て学べるところがあったと思う。
外に出て、色んな料理人さんを見ていると、やっぱり鞍谷先生ってすごく丁寧な人だなって気付かされます。在学中は自分の技術を上げることに精一杯で、先生の動きを見ているようで見れていなくて。もっと先生の動きを見ようという意識があったなら、もっと横で盗めることがあったんだろうなって。
ざっくりにはなってしまうけど、鞍谷先生の包丁の使い方、所作、料理の段取りの仕方など、厨房の中での動き方。今見たらより一層無駄がなく見えると思う。
例えば魚をおろして何か次の作業に入るってなった時に、まな板も包丁も綺麗にしてから、次の作業に移れるか。先生はスピードも速いけど、先生の身の回りは常に整理されて、次の作業へと綺麗に流れていく。
初心者だと、とにかく目の前の魚を速くおろさなきゃってなって、綺麗にしておくなんてことまで意識がいかなくて、ぐちゃぐちゃになってしまうんです。
先生のレベルに達するまではいかなくても、1年間の中で先生がどのように料理を進めていたかは見れたはずだと思うんですよ。先生の前に集まって、魚の捌き方をみんなで見ることもよくあったんですけど、私は魚が捌かれるそのものを見すぎて、それ以外のことは見れていなかったんですよ。
だけど、現場に入っていくと、そういうところが人として出てくる。
よくできる人って常に目の前がクリアなように見えるのです。動きも無駄がなくって。
無駄がないと素早く効率的に動けるし速くできるし、料理もブレない。揚げ直しとか、その他のやり直しも発生しない。そういうところが、自分が余裕を持てるようになった今であれば、盗めるんじゃないかなってポイントです。
最後に島食の寺子屋への入塾を検討している皆さんに一言。
考えて考えて悩みつくすことも大事だと思うんですけど、動いていくうちに頭も動いていくから、島食の寺子屋に行くにしても行かないにしても、動くことって凄く大事だなって私のなかで思っていて。その考えは、島食の寺子屋に入る前も、在学中も、卒業した後も思っていることです。
やっぱり、動いていくうちに相乗効果で色んな人と出会って変わっていったりとか、自分自身の想いとか目指すものも変わっていく。
必ずしも島食の寺子屋に入る時と、卒業した後の考えが変わっていたって良いと思うし。常に変化していくものだから、動けば見えてくるものが必ずあるし、自分の中で答えが出て来るんじゃないかなって。
なので、とにかく一度は見に行ってみて、自分がどう感じるかを確かめてみるのが良いと思います。気になるんだったら、それがご縁だとも思うし、そこから一年経ったらすごい変化もあるから、その変化そのものを楽しめたらいいんじゃないかなって思います。
(収録:2022年10月23日 オンラインで収録)