恒光 一将
島食の寺子屋に関わり始めた経緯を教えてください。
小学生の頃から酪農に興味があって、社会人になってから実際に関わろうと思っていました。ただ、生産・加工・販売の分野が、思っていた以上に縦割りに分かれているのを感じたし、どれか一つのスペシャリストに進まないといけないのが狭く感じて。もっと欲張りでに、 食の全体を幅広く見てみたい、俯瞰して関わってみたいという思いがあるなかで、ちょうど会社を辞めたタイミングで、海士町で「島食の寺子屋」のプロジェクトをやってみないかと声をかけてもらったのがきっかけです。島食の寺子屋の企画書を見せてもらったとき、「本気の日本料理人を育てる」と書いてあって、こんな誰も知らないような離島で、ここまで本気のことをやるのかと、物凄く意外に感じましたし驚きました。

あと、実際に海士町へ下見に来てみたときに、水産加工会社の社長のお話を伺うことがあって。その方はどう見てもおじいちゃんなのに、「来月にシンガポールへ販売しにいく」って当たり前のように話しているのを聞いて、楽しそうに挑戦することができそうな島なんだろうなと、けっこう確信めいて感じたのも覚えています。島食の寺子屋プロジェクトでは、生産現場を見ることもできるし、料理を届けることもできる。その間をつなぐ役割もできる。自分がやりたかった「食を俯瞰して見る」ということができる場所なんじゃないかと思って、プロジェクトの運営メンバーになることを決めました。
島に来て印象に残っている出来事はありますか?
一番印象に残っているのは、塩工場に行ったときの出来事です。塩を作る過程で「にがり」が出ているのを見て、にがりといえば豆腐だよなと思いつき、塩工場でもらったにがりをそのまま農家さんのところに持っていくことがあって。すると翌日には、農家さんの台所で、もう豆腐のようなものができていたんです。その場で豆腐をいただいたとき、大豆の香りがふわっと広がって。「豆腐って大豆からできている」という当たり前のことが、大豆の香りと一緒に脳裏に焼きついたのは、この島で心に残る体験のひとつです。海のものが、農家さんのところに行って、一つの食材が生まれる。海のもの山のもの里のものが、簡単に垣根を越えていくような、距離の近さや循環のコンパクトさが、島らしいなと感じています。
島食の寺子屋の生徒に感じてほしいことはありますか?
日差しが暖かくなって半袖になってもいいかなと思い始めた頃に、わかめが干され始めるのを目にして。また1年経って、同じような天気になってきた時に、そろそろわかめが出てくるかな?って、ちょっとした季節の答え合わせみたいなことができます。こんな季節にこんな食材を触ったな、こんな料理をしたな、って記憶は、生徒たちの季節の感覚の一部になっていくと思うので、大事にしてほしいです。あと、この島は小さいので、人との距離も近いです。島に住み始めて最初の頃は、自分の腕一本で生きている漁師や大工の方と話すと、価値観なのか分からないですけど何かかみ合わないことがあったりして。その人たちが何で喜ぶのかな、何が嫌だって思うのかな、ってことを、ひとつずつ分かっていく。そういう過程も、島で暮らすことであったり、生産現場と関わる面白さだと思います。
島食の寺子屋の生徒に大切にしてほしいことは?
食材があって料理ができる、ということは、島食の寺子屋の運営をしてきて、毎年痛感していることです。課外授業で生産現場の見学に行くときは、その方の仕事場に入っているという自覚をもって、授業に参加してほしいですね。
恒光さんの今後の展望
島で和食を学ぶことの魅力を、海外の方にも伝えていきたいです。日本料理の正しい学び方は、東京とか京都に一つだけの正解があるわけではないですし。地球の裏側にあるような「もう一つの正しさ」が、ここにあると思っています。例えばイタリア料理のように、その土地の食材を生かして料理をする文化がある。でも、考え方としては似ているけれど、実際にできあがる料理はまったく違う。そんな違いの中にも、どこか共通する価値観を見つけながら、料理を通して楽しく交流できたらいいなと思っています。
