創業者と 
卒業者の声

斎藤章雄氏

島食の寺子屋 共同創設者斎藤章雄氏

 和食料理家。
 1958年福岡県筑後市出身。
 日本料理•鉄板焼き
『しち十二候』、銀座『ことひ』
 総料理長。

島食の寺子屋を
発案したきっかけ・想い

料理人を志す人たちが、真剣に向き合い修行が出来る場所がない。
なぜならば、効率を求めすぎて職人の手仕事の価値を認めない社会になり始めているからです。
効率を求めること自体が悪い事ではありません。
人々が、人として五感を大事に経験して行く時間を惜しむようになっています。
すなわち、自分らしさが重要な時代なのに、自分らしさを選択ができない環境になっています。
料理人(職人)は、美味しい料理を創り出すことを考えて行かなければなりません。
そのためには、ひもじい時代から裕福になり物あふれる時代の現在!
料理人は、料理をトータルバランスで語らなければなりません。
そのためには、
料理の素材の理解がされているか?
機械の刃物を使う前に庖丁を使いきれているか?
など諸々の食文化や料理人としての基礎知識行動が、アナログでできているか?
料理の未来を考えるうえで大変重要ことになります。

島食の寺子屋が
人材育成の場所として、
魅力的に感じる点

海士町が場所として良いと思ったことは、
水・米・野菜・漁業・畜産などが、あったことです。
島なので、コミュニケーションが取りやすいと思いました。
時間はかかりますが、いろんな分野の方がクオリティー一番を
目指す覚悟が芽生えれば
島としても料理人を目指す方も最高の環境整備ができて、
総合的に地域の活性化に役に立つと思いました。

島食の寺子屋で
真剣に頑張った生徒へ
応援したいこと

ご自分が
将来どのような料理人になるかを想像する。
そのためのスケジュールを作成する。
自分にその覚悟があるかを自分に問う。(自分の居場所は、自分で決める)
おのずと次のステップは見えてくる。
しっかりサポートさせていただきたいと思います。

卒業者の声

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2022年度 四季を通して学ぶ1年間コース

佐野さん(2022年度 四季を通して学ぶ1年間コース)

種を蒔いて、そこから
どんな花が咲くかはお楽しみ

島食の寺子屋を知ったのは、どのようなきっかけ? 寺子屋のことは日本仕事百貨というサイトで知りました。その当時いまの職場で働いていたときは、グリーンシーズンだけの秋までの任期だったので、この先どうしようかなって考え始めた時に、なんとなく日本仕事百貨のサイトを久々に見てみたら、募集記事があって。 仕事の求人じゃなかったので、「なんだこれ?」みたいな感じで目に留まった気がします。働きたくなかった訳じゃないですけど笑 その時は、美瑛に来て2年目で、1年目は農作業のお手伝いをして、2年目は現在も働いている宿で働きはじめて、段々と食べるものに関わるようになってきて。全くの素人だったけど、小さな職場だから色んなことをさせてもらえるなかで、調理に関わったりとか。 料理する方も、もっとできるようになっていきたいなと思っていたタイミングでしたね。 美瑛の風景 いまの職場で食に関わる前はどんなことを? スポーツ大会の写真を撮るお仕事をしていたんですけど、コロナで大会そのものがなくなってしまって。ちょっと仕事が減りそうだぞって求人を探してみたら、美瑛で農業ヘルパーの仕事があって。この機会に札幌を出てしまってもいいんじゃないかなって思っていました。 シティガールだったので、地方の方で土と近い暮らしは憧れでしたね。 それで、まずは農作業ヘルパーをやって、その任期が1年だったから、次どうしようってなった時に、たまたまここの宿の求人を見つけて。 寺子屋に入る時はどんなことを期待していましたか? 何ができるようになるとか、具体的に何かを期待していたわけではなくて。なんていうか、野菜とか魚とか自分のところに来るまでの道のりが分かるものがあって。あの人が作った野菜とか、あの港で獲れた魚とか、獲れたてをすぐに調理をする、ということそのものにワクワクしていたと思います。 定置網が港に帰っていくところ 例えば、すごく遠いところで採れた旬ではないものが当たり前に手に入る環境って、不自然だよなって思っていて。旬のものを肌で感じながら生活もして、料理も学ぶっていうところに身を置いてみたかったのが大きかったです。 札幌に住んでいた時は、実家に住んでいたということもあって、あまりそういうことを考えていなかったんですけど。美瑛に暮らし始めてみて、こんなに農業が盛んなところなのに、なんでスーパーに地元の野菜が少ないんだろうって。わざわざ遠い場所に出荷して、地元の人たちの手に入りづらいのはなんかおかしいよなあって。 そういう不自然さを、なくすのは今の時代では無理だと思うんですけど、それをやっているところが、島食の寺子屋なんだっていうのが、自分にとっては希望になりました。 同級生と蕗の群生地で そんな期待をもって寺子屋に入ってみて。色々なことが初めての島での生活。どんな生活のスタートでしたか? そうだなぁ。自分の場合は、寺子屋に入る直近数年で、住む場所も関わる人もがらっと変わることが続いていて。割と適応力はあった方だと思うけど、やっぱり物理的にも北海道から遠いし、全部が違いましたね。大根の桂剥きをするってなって、あんなにトラックいっぱいに沢山の大根を畑から抜いてくるなんて思ってもなかったですし笑 大小さまざまな大根・蕪を掘るところから始まる あとは、寺子屋でもお家に帰ってもみんなとずっと一緒にいることになるので、休みの日に自分の好きなヨガに行ってみたりとか、ちょっと離れる時間を持つことで自分を保っていたと思います。寺子屋の一生徒としてじゃなく、個人として動いてみる時間があるといいんじゃないかな。 実際に寺子屋に入ってみて、学べたなってことはなんでしょう? 料理をする時の工程で、「これはこういう意図があって、こういうことをするんだな」ってことを学べたと思います。ひとつの例えだと、魚の臭みとかぬめりを取る為に、霜降りをするとか。作業のひとつひとつに、こういう意味があるんだよって、考えて料理をできるようになったことかな。 砂糖を入れたら硬くなるから、砂糖・醤油・味醂を入れるとしても、砂糖は後から入れるとか。レシピを見てから料理をするとしても、自分ならこういう風に進めていこうかなって、自分で考えて料理をできるようになりました。 このレシピはこうしてるけど、先生は同じことをする時にこうしていたなって思い出しながら。先生がしていた手順とかにも、ちゃんとひとつひとつに意味があって手順があるんだなって。 レシピがこうなっているから、ただレシピ通りにするんじゃなくて、レシピのこの部分はこういう意味の為にやっているという風に、読み取ったうえで料理に取り掛かれるようになりました。 美瑛に戻って料理をしている際中に、寺子屋を思い出すことは良くありますよ。いま、私は自分で野菜を育てているし、とうきびとか小麦も自家栽培ですし。その小麦で作ったパンも売っているし。料理のジャンルは違うけど、寺子屋と同じスピリッツがあると思うことが多々あります。 自分で育てたり収穫した野菜たち 島を離れてみて、感じる成長はありますか? 遅いなりに手際は良くなったし。一緒に料理をしているメンバーに、調理師学校を出たり料理を学んだ人がいるわけじゃないけど、その中で私の仕事は丁寧だって言ってもらえることは多くなりましたし、そこは成長したのかな。先輩とかも、お客さんに料理を出す時に、私には安心して任せられるって言ってもらえたりするのは嬉しいことですね。 島を離れて3年目。当時のことを思い出すことはありますか? あります、あります。さっきは、午前中その辺を散歩していたんですけど。稲刈りが始まるくらいの時期に、玉ねぎ染めをしてその後に稲の中をみんなで散歩したことを思い出しました。 稲刈り前の散歩 だから、そろそろ稲刈りが海士町で始まる頃かな、新米だなとか。やっぱり、なんか季節が変わったなと思う度に、今頃の海士町はこんな感じかなって、思い出しますね。あんなことしていたなとか、こんな食材が取れていたなとか。 なんでもない時に、何かをみてはっと思い出すこともあります。去年はむいたミカンの皮を見て、崎小の校庭で、かけっこしたりダンベルしたりして遊んだ記憶が蘇りました。 小学校跡地でかけっこ 梅を見たら丹後さんのこととか、島でした梅仕事のことを思い出すし、みかんを見たら白石さんを思い出すし、しいたけを見たら福井さんを思い出します。北海道でも海士町を思い出すきっかけになるものは沢山あります。 梅干しづくり 今のお仕事はどんなことですか? シフトによるんですけど、朝番か遅番と、掃除やルームメイクも自分たちでやります。前日に仕込んであるポットローストを朝焼いて、サラダを作って朝食を出すのが、ざっくりというと朝番のお仕事です。 お客さんがチェックアウトするまでの間に、ディナーで使うものや翌日の朝食の仕込みをして、そのあと掃除をします。掃除が終わってお昼休みのあとも、チェックインまでの時間に主にそういった仕込みをします。遅番のときはチェックインと、ディナーを仕上げてお客さんに出すところまでやります。 ちなみにお昼ご飯はどんなの? 給食の献立表みたいに、その日のシフト表の横に献立表が貼ってあって。朝番の人は予めメニューを考えておいて、その日に使いたいものを書き出しておいて、買い出ししてもらうとか。だから、賄いはサラメシに出られそうなくらいに豪華な時とかもあったり。 お庭で育てているハーブを入れたパン粉で、イカフライに 今だったら畑でパプリカが沢山採れていて、こないだガパオを作ってくれた子がいたり。ズッキーニがいっぱい採れていた時期は、ズッキーニのパスタとか、麻婆茄子ならぬ麻婆ズッキーニを作ってくれたり。そういうことも、あるものでどうしようかなって考えるのは、寺子屋っぽいですよね?笑 私はハウス一棟分で好きな野菜を育ててもいいって、ありがたいことになっていて。とうきびの収穫とか畑仕事もやりたいって伝えていたから、自然と野菜担当になっていました。元パティシエでパンやお菓子作りが好きな先輩は、パン作りを任されていますし。それぞれの好きなこととか、向いていることを、やらせてもらえるのは、小さな職場だからかもしれないですね。 見渡す限り広がる とうきび畑 けっこう忙しそうですね? 両立できているといえばできているのかな。毎日自分の採った野菜を届けて、それが料理に使われているので、両立できているといえばできているんですけど。でも、畑仕事って収穫だけじゃないじゃないですか。これぐらい手をかけてお世話していたいけど、十分に手が届いていないってことはあって。あと、料理する立場としても、自分で育てた野菜たちを生かしきれていないと思うこともあります。贅沢なジレンマですけどね。 各棟にお届け形式 畑でいうと、ここまでやりたいとかって? 美しい畑にしたいんです。雑草がないとかそういうことではなくて。去年のお客さんにとうきび美味しかったって言ってもらえたことがあって。「他にもとうきび畑があるけど、ここの畑で育ったものは絶対に美味しいと思った」って言われて。とうきびを買ったけど、畑を見ててくれたお客さんもいて。それで、すごく自分の中でハッとして。ここで育った野菜なら食べたいって思ってもらえるような畑にしたいって、その時から思うようになりました。そんなこともあって、もっと畑に手をかけたいですね。 宿でやりたいことは、育てた野菜やハーブを使って保存食を作ることです。ドライトマトを作りたかったし、バジルシロップを作りたかったけど、出来なかったりとか。季節の手仕事をやり切れていないのが難しいところですね。 今後はどのような展望ですか? 畑を自分の生活の真ん中に置けるようになりたいですね。それで食べていく、というよりかはそれを食べていたい、というか笑 食べるものを自分で作って、自分で食べたいし。お客さんに美味しいって言われるのも嬉しいんですけど、家族とか友達とか自分にとって大事な人たちに美味しいって言ってもらえることの方が、私にとって大事だったり。 自分と近しい人たちの為に作りたいんです。現実的にはお金を稼いだりしないといけないんだろうけど、自分が作った野菜とかお米とかを、自分と周りの人たちとで食べて、それが広がっていって、もっとたくさんの人たちに食べてもらうことになったら、それでいいんじゃないかなって。 料理をする人以前に、生産する人でありたいなって想いがあります。 島食の寺子屋へ入塾検討している方に一言。 入ってみたらいいと思います。何を学んで持ち帰るかは、人それぞれだし。 間違いとかは絶対にないし、これが正しいってものもないし。みんな、寺子屋に入って、何かを持ち帰って、その先でどうなるか分からない方が面白いんじゃないでしょうか笑 寺子屋って、日本料理のことをするし、お魚を沢山さわってきたから、いま自分がそういう場所にいないことを勿体無いことのように思ってしまうこともあって。自分自身が和食が好きで、寺子屋の時に作っていたような料理をしたいと思うこともあります。ずっと美瑛にいるつもりではないので、いずれはお魚のおいしい場所で暮らしたいですね。 それぞれが寺子屋で種を蒔いて、そこからどんな花が咲くかはお楽しみ、みたいな感じで良いんじゃないでしょうか笑 種蒔きですよね、なんでも。 (インタビュー収録 : 2025年9月23日)

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2024年度 四季を通して学ぶ1年間コース

前田さん(2024年度 四季を通して学ぶ1年間コース)

茶懐石と在来野菜を繋げる、
料理の世界に

今働いているお店の説明をお願いします。  三友居というお店に勤めています。三友居は今の社長のお父さん(会長)が創立した仕出しのお店です。基本的には茶道の中の茶懐石というのを、出張料理だったりお弁当を作ったりしています。 幾つか選択肢があった中で、三友居さんに決めた理由は?  寺子屋に入塾した時から、茶懐石を専門にしたいって決めていたんですけど、具体的にお店の名前であったり、お店との繋がりとかが全くなかったので、どうしようかなって思っていたんですけど。  ちょうど、1年前くらいの寺子屋で行く京都研修の前に、鞍谷先生にそのことを相談していて、その直後に中央市場を見学をしている時に、たまたま三友居の社長の山本さんが歩いていらして。 三友居の山本社長  鞍谷先生がその場で紹介してくださって、それが最初の出会いでした。その時は、ひとつ繋がりができた嬉しいな、くらいで思っていて。年末にお節の手伝いに行かせてもらった時は、茶懐石のことに直接は触れなかったんですけど、雰囲気とかこういう価値観を持っていらっしゃるんだなとか、人間性とかを見れて。  その後に良かったら初釜にお手伝いに来ないか?と誘ってくださって。それがたまたま私がお茶のお稽古をしている官休庵さんで。普通だったらお稽古していても、初釜には絶対に入れないので、こんな機会は絶対にないと思って参加しました。  その当時は、他にもふたつほど就職先にしたい選択肢となるお店があって、それぞれ見に行ったんですけど。でも、三友居の会長のお人柄とか、仕事に対する姿勢とか、茶懐石に対する造詣の深さみたいなのを垣間見て、この人のところで学べるだけ学びたいというのが一番の理由ですね。 茶懐石に興味を持つまでの、道のりを教えてください。  価値観が変わり始めたのは高校生の時で、山形の小国町にある学校に通っていて。自分は何もできない、自分は何も持っていない、みたいな思春期独特の悩みがあって。自分はこの先に何をしていけばいいんだろうみたいな。  その時に、たまたま牛が放牧されている風景だったり、生徒が自分の感じていることをみんなの前で話す環境とかがある高校を母親に教えてもらって。自分のことを言葉にするなんてできない性格だったし、大阪に住んでいたらこんな自然にも出会えないしって、「ここで人生変えたる!」って意気込んで、その高校に行くことを決めました。 小国町での放牧風景  そこで親元を離れて自分自身と向き合ったり、一緒に暮らしている人たちとか、自然と向き合ったり。本当に大事にすることは何かみたいなのを、教えられたというよりかは、自分で見つけられたという教育の在り方の中で育ててもらったなって感じがあります。  動物のお世話をしたのもあって、命のことであったりを学びたいようになって、死生学を学べる大学に進学しました。大学では授業以外のところで、同世代の人たちと一緒に自然農をしてみたり、その畑でとれたものでカフェとかマルシェをしたり、子供たちに食育をしたりとか、そういう活動をしていました。  奈良のお茶農家さんのところで、お茶狩りとかお手伝いさせて頂くこともあって。遊びの一環みたいな感じで、茶道の中のお茶事というのをみんなでやっていたことがあって。子供たちと一緒に庭に生えているお花を摘んできて、生け花をしたりとか。農家さんがつくったお茶でお抹茶をたてたりとか。お料理も自分たちで作ったりとか。 お茶農家さんとの繋がり  本当に稽古でやるような型からははみ出しているし、無礼講ばっかりだったんですけど、みんなで作り上げている感じの茶懐石というか。本当に周りの自然と、そのお茶事というのがリンクしている感じというのが、すごい楽しくって。そういうことが、茶懐石に興味を持つ原風景としてあったと思います。 在来野菜との出会い  あと、色んな農業の活動をしていくなかで、今の農業の問題とか、農家さんが抱えている悩みとかを直接聞かせて頂く機会があったんですけど。自分の中で学びを進めていくなかで、在来野菜というのがあるっていうことを知って。それで、在来野菜を主軸に活動されている方たちのコミュニティとも出会いました。 在来野菜の直売所「タネト」でインターン  在来野菜っていうのは、その土地で長年種取りされて、個性をもった野菜のことを言うんですけど。みんながスーパーで食べているようなお野菜とは違って大量生産できないし、形もいびつだったり安定して採れなかったり、ちょっと味に苦味とかくせがあったりして、段々食卓から遠のいていった野菜たちなんですね。それを栽培している農家さんも、だんだん高齢化していっているし、そもそもそんな野菜を知らないから食べ方が分からないって消費者のひとも増えてきたし。  在来野菜が残っていくか消えていくかっていう大変な時期にあるなって思って。そういった現状を聞いた時に、自分に何かできることはないかなって考えて、まずは卒業論文で自分がずっと心の中で持っていた「人の命ってなんで尊いんだろう」って想いと、こんなに大変な種取りを続けている方々の信念って、なにか繋がっていて、大切なものがそこにあるんじゃないかみたいな予感があって。  そういう予感もあって、卒論のテーマにしたのが「種取りが育む命観」でした。山形で在来野菜を育てている農家さんと、長崎の雲仙にいる農家さんと、あとイギリスにもいる方にもインタビューしました。その方々の話を聞くなかで、種取りをされている方って、野菜に対してすごい愛情をもって育てていらっしゃって。  ただの商売道具とかには思っていなくて、本当に自分の家族とか子供とかパートナーみたいな感じに接していて。人と野菜の間にすごく良い関係性があるんだなって感じました。種取りをするっていうのは、野菜の一生と向き合うことで。  種を植えて育てて収穫して、その野菜の花を咲かせて種をとって、その種を保存して来年の春にまた芽が出るっていう、野菜の命の循環を毎年毎年繰り返していて。農家さんたちは、そんなに意識されていなかったんですけど、命って循環しているんだなっていうのを自然に持っていらっしゃって。  そういう感覚って、きっと子供の食育にも大事なことだし。自分が知りたかった「人の命はなんで尊いのか」ということに対しての一つの答えになると思っていて。自分の両親とか、おじいちゃんおばあちゃんとか、もっと上の世代から繋いできたからこその、他人には替えられない自分の命の尊さというか。見かけの、どれだけお金を持っているかとか、どういう仕事に就いているのかとか、年齢とか性別とか関係なく、人の命が尊い理由はそこにあるんじゃないかなって。  野菜の命である種を繋いでいくことも本当に大事なことだと思っていて。卒論をきっかけに色んな農家さんの話を聞いて、自分は何もできないけど、なにか恩返しをしたいし、自分なりの方法で伝えていきたいと思いました。 茶懐石と在来野菜を繋げる、料理の世界に  農家さんへの恩返しに、何を手段にしようかなって思った時に、アルバイトをしていたお茶農家さんのところでの茶懐石がイメージとして残っていて。茶道の世界って自然のサイクルとかをすごく大事にしているし、地産地消というか自分たちの近くにあるものこそご馳走だって考え方。  物珍しいものとか高価なものを出して喜ばせるというよりかは、ほんとに身近にある自然から頂いて、ほんのちょっとのものを愛でるというか尊ぶ価値観とかが、在来野菜を伝えるには良い価値観だったのかも。  在来野菜に惹かれていた理由は、今思ったら先人の方たちが「これは大事だ」って思ったものを、次の世代に受け継いで、次の世代もこれが大事だと思って大事に種をとるという、今の農業とは真逆のやり方をとっている方がいて。並大抵のことじゃないとも感じていたし。そこから卒論を書くために、そういう人たちにインタビューをとるようになって、自分もなにか小さくてもいいから役に立ちたいなって。  自分が好きでこれからできそうかなっていうのが料理で。その流れで島食の寺子屋を知った時に、あぁぴったりだなって思いました。 島食の寺子屋での筍掘り  でも、今までの自分が知っているのと全く違う世界だし。料理でやっていくってなって。でも18歳とかから料理人を志している方々がいる中で、自分がスペシャルなものを持っていないと、料理人の世界に入っていけないんじゃないかって思ったりもして。だから、島食の寺子屋っていう、スペシャルな体験ができる料理学校に入ろうと思ったのもあります。 実際に茶懐石の世界に入ってみてどうだった?  もう奥深すぎて、何から手を付けていいのか分からないっていう。料理だけじゃなかった、みたいな。出張料理ってなると、私は会長とご一緒することが多くて。茶懐石の世界ですと、「辻留さん」が一番有名だとは思うんですけど、裏千家のお抱えだから裏千家一本でされていたりとか。  一方で、三友居さんは、どの流派でも対応できるようにしていて。そうすると全ての流派の、お箸の持ち方とか、使うお箸も違うし、お菓子も違ったり、出す順番も少しずつ変わったり、それも季節ごとに変わってくるっていう。  基本的に、裏千家・表千家・武者小路という3つが流派としては多いんですけど、まだまだ他にも色んな流派があって頭がわーってなるし。器も会長はすごく造詣があって、すごい好きだから勉強になるんですけど。今までの茶道とかの歴史とか、器の歴史もあるし、茶道で使われるモチーフとかの文化的な背景とか。私が知らない世界がまだまだ沢山あります。 茶懐石の中で料理のお仕事ってどんなもの?  入ってみて、やることなすこと本当に全て楽しくて。やりたいこともどんどんチャンスを下さるし、すごい楽しいんです。でも、仕出し屋さんって裏方なのでお客様の顔が見えなくて。実際に御客さんがどういう表情をしていたのかとか全然分からないし、そういう部分ではすごい難しいところがあるなって思います。  あとは、ただ美味しい料理を作っているだけじゃだめなんだなって。お客さんを喜ばせようと思っても、文化度が高い方をお相手にすると難しいと思ったし。自分がこれを仕事にしようと思った時に、人脈とか人間力とか京都ならではの関係性みたいなのがあって、持ちつもたれつみたいなところがあるから。 いちなんでもない料理人が太刀打ちできる世界じゃないなって、今はちょっとナーバスになっています(笑)  それに、どこから手をつけていいか分からないというか、器の産地とか年代とか種類とか覚えたらいいのかって勉強したりとか。掛け軸を見て読めないから、じゃあ文字の勉強をしようとか。料理ももちろん勉強するし、茶道の文化とかとにかく手あたりしだい覚えないといけないなって。そういうので焦ってしまってしまったりもあります。 島食の寺子屋に在学中のお話を。 本当に人生で一番豊かな時間だったなって思います。今のところはですよ(笑)食材に恵まれているというのもあるし、すごい高校時代を思い出す人間関係だったり。高校で食品加工の部長とかしてて、栗を拾って栗ジャムを作ったりとか、そういうのがすごく楽しくって。寺子屋でやっていることは、さらに豊かだったなと思えて。 全部自分の生活と授業がリンクしている感じがして落ち着くし、安心感があるし。消費している感覚が苦手なんですよ、知らない誰かが作った替わりがあるものを買っても、満たされないというか。替えがきいてしまったり、そこまで重要じゃないものに囲まれているのが落ち着かないっていうのがあって。そういう意味では海士町の暮らしって、全部顔が見えて、会話とか物語と一緒になっているというか。昔はそういうのが当たり前にあったのかもしれないけど、今の社会の中では豊かなことだなって。 友達と話したことがあって、料理とか洗濯とか生活のあらゆることがあると思うんですけど、そういうのを人に預けてしまうのが恐いなって話をしたことがあって。誰かに預けてしまったら、自分が弱くなってしまうような感じ。 あと、働き始めて思ったのは、寺子屋とか離島キッチン海士の環境で、本当に色々と失敗しながらもやらせてもらったことは有難かったなって思います。普通だったらできないことにチャレンジさせてもらっているじゃないですか。4月に入塾してちょっと経つと、もうお客様に向けて料理を提供するとか。でも、みんなで現場をまわして、料理の全部のことを見渡せて、実際にできて、フィードバックがもらえるという環境。失敗もさせてもらえて、すごい守られた環境でやれてきたことが今に活きているなって。 料理とか技術とかって、やればやるほどついてくるんですけど、料理じゃないところの鍛えられたところを重宝されています。簡単なことだと、事前の準備とかみんなで協力することとか、料理を仕事にする上ではないがしろにできないことだし。仕入れたものでどう料理するのか、余ったものをどう使っていくのか。生産者の方の背景とか現場を見れたから想像できたものとか。実際にお客様を前にした時に、手を早くするとか、自分がどういう失敗をしがちなのかとか、そういう一年間で蓄積されたものが沢山あるから、実際に仕事で現場に入って、ばーって一気に仕事が来た時に、戸惑いながらもその時の経験が活きているなって感じることがあります。 自主企画で同級生とともに茶懐石に挑戦@離島キッチン海士 島っていう環境は? チャレンジしやすい場所だなって思います。なにもしなければなにも起きないから、こういうのがやりたいって伝えてアクションを起こしたら、絶対に何かしらの答えがもらえて、初めて会った人でも背中を押してくれたりとか、島の人たちの温かさって不思議だなって思います。 4年に1度実施される、だんじり祭りにて

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