「和食の入り口に
正しく立つ」
人を育てる。
"Standing correctly at the entrance to Japanese cuisine"
Developing people.


料理人になる為には、調理師専門学校に通ったり、
料理店で修行するなど、様々な方法があります。
島食の寺子屋では、
「和食の入り口に正しく立つ」人を育てます。
その土地、その季節に、
自然から頂戴したもので料理をする。
当たり前のようで世の中からなくなりつつある、
和食本来の心や技術を島での暮らしを通じて学びます。
一人前になるまで十年はかかる和食の世界。
その内の一年を島食の寺子屋で過ごすことで、
料理人としての”原点”を身に付けることができます。
There are many ways to become a chef, such as attending a culinary school or training at a restaurant.
At Shimashoku no Terakoya, we nurture people who will “stand at the proper gateway to Japanese cuisine.”
Cooking with what nature has provided in that land, in that season—something so natural, yet disappearing from the world—is at the heart of true Japanese cuisine. Here, you will learn its spirit and techniques through life on the island.
In the world of Japanese cuisine, it takes about ten years to become fully-fledged.
By spending one of those years at Shimashoku no Terakoya, you can acquire the “foundation” of being a chef.
海士町
Amacho
海士町は、島根県沖の日本海に浮かぶ隠岐諸島のひとつ。
本土からフェリーで約3時間の場所にあります。
豊かな湧き水に恵まれ、離島でありながら海・山・里の食材がそろい、
「半農半漁」の暮らしが営まれてきました。
町のキャッチコピーは「ないものはない」。
大事なものは、すべてある。
必要のないものは、なくていい。
そんな島らしい生き方を表した言葉です。
島食の寺子屋でも、この考え方を大切にしています。
島でとれる食材とまっすぐに向き合いながら、
日々、和食を学んでいきます。

島食の寺子屋に関わる人々
People
講師・スタッフ
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島食の寺子屋常勤講師
鞍谷 浩史Hiroshi Kuratani
1977年京都市生まれ。
高校卒業後、18歳の時に神戸メリケンパークオリエンタルホテルで和食の修行を始める。 そこから京都にうつり、6年ほど京料理店で修行を積んだ後に、 実家にあたる「北白川ともえ」に戻り、4年ほど寿司・京料理を出す。 2020年に島食の寺子屋常勤講師に就任。 -
島食の寺子屋 コーディネーター
恒光 一将Kazumasa Tsunemitsu
1987年大阪府生まれ。2015年に海士町へ移住し、企画発足当時から島食の寺子屋のプロジェクトに参加。現在は、島食の寺子屋の受入コーディネーターとして、日々の暮らしのサポートや、生産現場との繋がりを作るなど、生徒たちの島暮らしを支えている。
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島食の寺子屋 卒業生アシスタント
河野 紗矢香Sayaka Kouno
1990年 千葉県生まれ。食品宅配の会社で、契約生産者さんからの仕入れ・商品開発・献立サービスの立ち上げ運営などを経験。2024年度島食の寺子屋1年間コースを卒業後、離島キッチン海士での食事提供や施設運営を通して、島食の寺子屋をサポートしています。
生産者
創業者と卒業者の声
Voices of our founders and graduates
料理手帖
Cooking Handbook
島食の寺子屋の日常
Movie

入学を検討している方へ
For those considering enrolling
島食の寺子屋常勤講師
鞍谷 浩史Hiroshi Kuratani
島食の寺子屋常勤講師になろうと思ったきっかけ
京都芽生会(京料理の若手料理人の会)の仲間から求人を紹介されて、京都のたん熊北店で受入コーディネーターの恒光さんと会ったことが始まり。隠岐の場所もわからないくらいで、まずは現地を見に行ってみることにしました。もっと田舎と思ってたけど、行ってみたら意外に町っぽくもある。でも住んでみたら、やっぱり田舎でした(笑) 訪問したドイツ人農家からもらったパプリカを、イタリア料理屋さんにお願いして、ディナーに入れてもらった思い出もあります。東京などの料理店への就職という他の選択肢もありましたが、「食材が制限された中で、どういうものが作れるのか」という環境が、今後の料理人生活の中における自分自身の学びになると考え、島食の寺子屋常勤講師になることを選びました。
料理の経験者として島食の寺子屋で感じていること
市場には出回らない規格外のもので調理をしたり、都会にいれば触れないような新鮮な状態の魚を使って、実践授業の中でお客様に料理をお出しできるのは、料理人として恵まれている環境です。また、自ら山に入れば山菜が獲れ、海に入れば海藻もとれ、畑に入れば野菜を分けてもらえる。そして、自分たちで育てた野菜で、料理をしてみることもできる。色々な自然の食材と出会い、それぞれの食材の味を覚えることで、料理人としての舌の基礎ができていくと思います。

島食の寺子屋・一年間コースの応募者は、料理初心者の方が殆どです。島食の寺子屋の一年間でどのようなことを伝えることができると思いますか?
周りになにもないので、料理に集中できる環境ですね(笑) 食材の現場も近いことですし、島民の方と仲良くなれば食材も分けてもらえる。授業が終わってから自習の時間もある。その時間をどのように使うかは自分次第。そして、やればやるだけ上手くなる。入塾当初になんの知識もなく作った料理と、まったく同じ料理を一年後に作ってほしいですね。一年の間に、包丁の使い方から食材の扱い方、調理法もまるっきり変わっていくと思うんですよね。

離島キッチン海士での実践授業では、生徒になにを得て欲しいですか?
離島キッチン海士では、お品書きが毎日変わります。その時々にある食材を使い、「ないものはない」中で、今ある食材でどうするか?料理に対して考える力がついていくことによって、料理のバリエーションは増える。バリエーションが増えれば、本土に戻って全ての食材が揃った時に、料理でもっと色んな組み合わせを発想できると思います。
島食の寺子屋常勤講師を務めて数年が経ちました。常勤講師として変化はありますか?
講師として教えるということが初めてだったんで、自分の感覚を数値化していくという数年でしたね。教えるためには、いま数値とかデータで教えないといけない部分もあって、数値化するべきところが定まりつつあります。ただ、お店によってですけど、油の温度を測る温度計がないとか、出汁をとるときに温度計がないっていうお店も少なからずあるので。常に温度計をさしてできたらええけど、ない時はどうするのかというところは感覚的というか、見た目とかで判断しないといけないところもあって。そういう時に必要な知識は教えるようにしています。実践授業で離島キッチン海士で料理をするときは、自分が調理の面でなるべく生徒に手を貸し過ぎないようにしています。なるべく生徒に触ってもらう、料理を作ってもらうというのは意識しているところで。
食材を見極めることについて
食材には、走り・旬・名残があって。それは畑でも一緒で。収穫が始まるときと、最盛期のときと、終わりかけのときとでは、食材が全然変わってくる。それぞれのタイミングで、どのような味がするのかというのを覚えてもらいつつ。じゃあ、こういう味になってきたとか、皮が厚くなってきたとか、によって料理法が変わってくるので、そういうのを見極めていってもらいたいなと思います。

基礎から実践への流れ
<基礎>
基礎技術は、まずは包丁に慣れて、研ぐところから桂剥きまで。桂剥きは初心者には難易度が高いけど、それを難しいからできひんじゃなくて、やってもらいながら習得してもらいます。野菜に特化した薄刃包丁についてだと、特に刻むという行程というか作業を重点的にやっていきます。基本的な包丁の握り方、動かし方、体勢とかを学んでもらったりとか。魚に関しては、出刃包丁の特性と使い方。魚まるまる一匹内臓がついている、うろこがついている、えらがついているという状態を見てもらって、まずはこの魚がなんという魚なのかとか。魚を種類とか分かるようになってもらってから、血がいっぱい出てびっくりするかもしれんけど、それを実際に自分たちで水洗いから三枚おろしまでして、実際にお造りにしたり焼いたり揚げたりして、お客さまに召し上がってもらう。味を覚えてもらいながら、技術も覚えておいてもらう。包丁以外の基礎だと盛付のところで、賄いみたいなものを何回かしながら教えていけたらなと。

<実践>
会席料理を想定してだと、自分たちが切ったものを桂剥きして刻んだり、魚を三枚おろしにして切ったものがお客様の口に運んでもらえるレベルに達しているかどうかを判断します。レベルに達していなければ、残念だけどこっちでやってしまうこともあるし、その辺は最低限までのレベルまではレベルを上げてもらいます。はじかれないような技術をいかに習得するかは、基礎技術の反復練習の部分になってくるので、基礎技術のところはちゃんとやってもらいたいなと。実際に火を使うときやったら、「この状態やったら焼けている」とか、油がこうなったら食材を入れて天麩羅にできるでとか、というのはやり方とかタイミングを実際にやりながら覚えてもらいながら、本番に繋げてほしいなと思います。

料理店にそのまま入るより、島食の寺子屋を経由するメリットは?
働き始めるときの、理解度が深くなります。包丁も基礎的なところは技術をつけさせるし。仕事になると、「やらされる」のと、「自らやる」のとでは大きな違いがあって。やらされると嫌になるところがあるけど。最初なにもわからん状態から入ると、やらされ仕事になってしまうけど、基礎的な知識とかをもってお店に入ると、「自分がやっている」になるんじゃないかと。生徒たちも言っていたけど、4月の大根桂剥きを嫌々やるのと、各々がなにか今日はどういう意識をもってやるのかで、全然成長が変わってくるので。メニューを考えることも同じで。こちらから与えたものを作るだけでは、それこそ「やらされている」になっちゃう。自分から考えたメニューやったら、自分が作りたいって考えたメニューやから、楽しく前向きにできるというか。そこで、メニューは考えてこういうやり方でやってみたけど、なんか違うという時にはもちろんアドバイスはするし、質問には答えるし。それはメニューだけじゃなくて、今やっていることに対して、「これ今、こうやっているけど、自分やったらこういう風にやった方が早いかな」とか、考える力になるし。日々のことを無心にするのもありやけど、どうやったら綺麗に切れるやろかとか、を考えるのは力になるし。もちろん、こっちから指導もするけど、生徒たちの方でもただやるだけじゃなくて、「考えながらする」ということは常に意識して実行に移してほしいですね。
島食の寺子屋 コーディネーター
恒光 一将Kazumasa Tsunemitsu
島食の寺子屋に関わり始めた経緯を教えてください。
小学生の頃から酪農に興味があって、社会人になってから実際に関わろうと思っていました。ただ、生産・加工・販売の分野が、思っていた以上に縦割りに分かれているのを感じたし、どれか一つのスペシャリストに進まないといけないのが狭く感じて。もっと欲張りでに、 食の全体を幅広く見てみたい、俯瞰して関わってみたいという思いがあるなかで、ちょうど会社を辞めたタイミングで、海士町で「島食の寺子屋」のプロジェクトをやってみないかと声をかけてもらったのがきっかけです。島食の寺子屋の企画書を見せてもらったとき、「本気の日本料理人を育てる」と書いてあって、こんな誰も知らないような離島で、ここまで本気のことをやるのかと、物凄く意外に感じましたし驚きました。

あと、実際に海士町へ下見に来てみたときに、水産加工会社の社長のお話を伺うことがあって。その方はどう見てもおじいちゃんなのに、「来月にシンガポールへ販売しにいく」って当たり前のように話しているのを聞いて、楽しそうに挑戦することができそうな島なんだろうなと、けっこう確信めいて感じたのも覚えています。島食の寺子屋プロジェクトでは、生産現場を見ることもできるし、料理を届けることもできる。その間をつなぐ役割もできる。自分がやりたかった「食を俯瞰して見る」ということができる場所なんじゃないかと思って、プロジェクトの運営メンバーになることを決めました。
島に来て印象に残っている出来事はありますか?
一番印象に残っているのは、塩工場に行ったときの出来事です。塩を作る過程で「にがり」が出ているのを見て、にがりといえば豆腐だよなと思いつき、塩工場でもらったにがりをそのまま農家さんのところに持っていくことがあって。すると翌日には、農家さんの台所で、もう豆腐のようなものができていたんです。その場で豆腐をいただいたとき、大豆の香りがふわっと広がって。「豆腐って大豆からできている」という当たり前のことが、大豆の香りと一緒に脳裏に焼きついたのは、この島で心に残る体験のひとつです。海のものが、農家さんのところに行って、一つの食材が生まれる。海のもの山のもの里のものが、簡単に垣根を越えていくような、距離の近さや循環のコンパクトさが、島らしいなと感じています。
島食の寺子屋の生徒に感じてほしいことはありますか?
日差しが暖かくなって半袖になってもいいかなと思い始めた頃に、わかめが干され始めるのを目にして。また1年経って、同じような天気になってきた時に、そろそろわかめが出てくるかな?って、ちょっとした季節の答え合わせみたいなことができます。こんな季節にこんな食材を触ったな、こんな料理をしたな、って記憶は、生徒たちの季節の感覚の一部になっていくと思うので、大事にしてほしいです。あと、この島は小さいので、人との距離も近いです。島に住み始めて最初の頃は、自分の腕一本で生きている漁師や大工の方と話すと、価値観なのか分からないですけど何かかみ合わないことがあったりして。その人たちが何で喜ぶのかな、何が嫌だって思うのかな、ってことを、ひとつずつ分かっていく。そういう過程も、島で暮らすことであったり、生産現場と関わる面白さだと思います。
島食の寺子屋の生徒に大切にしてほしいことは?
食材があって料理ができる、ということは、島食の寺子屋の運営をしてきて、毎年痛感していることです。課外授業で生産現場の見学に行くときは、その方の仕事場に入っているという自覚をもって、授業に参加してほしいですね。
恒光さんの今後の展望
島で和食を学ぶことの魅力を、海外の方にも伝えていきたいです。日本料理の正しい学び方は、東京とか京都に一つだけの正解があるわけではないですし。地球の裏側にあるような「もう一つの正しさ」が、ここにあると思っています。例えばイタリア料理のように、その土地の食材を生かして料理をする文化がある。でも、考え方としては似ているけれど、実際にできあがる料理はまったく違う。そんな違いの中にも、どこか共通する価値観を見つけながら、料理を通して楽しく交流できたらいいなと思っています。
島食の寺子屋 卒業生アシスタント
河野 紗矢香Sayaka Kouno
自己紹介・経歴
2024年度 島食の寺子屋卒業生。
卒業後も海士町に残り、離島キッチン海士でランチ営業や仕出しなど料理の仕事をしながら、団体ツアーのお食事予約の管理などを通して島食の寺子屋のサポートをしています。
島食の寺子屋に入塾する前は、食品宅配の会社に新卒から10年間勤めていました。大学時代のボランティアプロジェクトで、循環型農業を営む牧場のご夫婦に出会ったことをきっかけに、食に興味を持つようになりました。そこから「作る人」と「食べる人」をつなぐ仕事がしたいと思うようになり、会社員時代は契約生産者さんからの仕入れや商品開発、献立サービスの立ち上げ・運営などに関わってきました。
島食の寺子屋のどんなところに魅力を感じたのか
大学を卒業する頃、「いつか地方で、都会に住む人が農的な暮らしを体験できる場所をつくりたい」と思っていました。そのためには“言葉”だけではなく、何か別の表現手段を自分自身がきちんと身につけなくてはいけない。そんな思いが、ずっと心の中にありました。そんなとき、偶然見つけたのが島食の寺子屋。『和食の入口に正しく立つ』という言葉を見た瞬間、「これだ!」と本当にビビッときました。料理の世界に入るには、10代のうちに料理屋さんに入り厳しい修行を積まなければいけないと思っていたけれど、30代の自分もここなら今から学ばせてもらえる。自分のやりたいことが全部詰まっている場所だと感じ、迷いはありませんでした。
島で印象に残っている出来事
島で暮らしていると、自分が「人間と自然の世界の境界に立っている」と感じる瞬間に出会います。島に来て初めて深く関わるようになった「魚」は、私にとって特に印象深い食材です。 漁船に乗り、網をしゃばっているときに見る魚の群れ。狭い網の中で必死に生きようとうごめく魚たちの勢いは、本当にすさまじいものです。それでも徐々に追い込み、確実に引き上げていく漁師さんたちの知恵と技、力にいつも圧倒されます。
一方で、海に潜ればそこは魚たちの世界です。いつも捌いている魚がすぐ近くを悠々と泳いでいく姿を見ると、少し怖ささえ感じます。私たち人間の世界のすぐ隣で、生きものたちの世界が確かに息づいているのだと実感する瞬間です。同じ場所に仕掛けた定置網でも、入る魚は日々変わります。昨日と同じ魚を追加で仕入れようと思っても出会えないこともありますし、穏やかに見える海でも潮の流れが速く、網を引き揚げられない日も。自然は決して、人間の思い通りにはなりません。それを理解しているからこそ、島の人々は日々細やかな手入れや準備を重ね、お祭りや直会で祈り感謝しながら、静かにその時を待ちます。自然への畏怖と祈り。日本料理の精神性が暮らしの中に息づいているこの島だからこそ、料理人を志す人にとって学べることがたくさんあると感じています。
入塾を考えている方へ
1年間は長いようで、本当にあっという間です。丸一日集中して練習できる場所があり、島の生産者の方とつなげて仕入れをサポートしてくれる人がいて、すべてを見守り相談に乗ってくださる先生がいる。そして、自分の頭で考えて作った料理をお客様に提供する機会もあります。卒業してみて、それがどれほど恵まれた環境だったのかを改めて実感しています。授業以外の時間に生産者の方を訪ねるのもいいですし、島の飲食店でアルバイトをして、どんなお客様が来るのか観察するのもいい。離島キッチン海士で自主企画に挑戦することもできます。私も現役生の時に、大好きな日本酒のイベントを企画させてもらいました。島での過ごし方は本当にさまざまです。 だからこそ、気になることはぜひ全部やってみてほしいと思います。私たちに迷っている暇はありません(笑)。また、生徒として寺子屋での1年間を経験したからこそ、みなさんの不安や悩みにもきっと寄り添えると思います。いつでも気軽に声をかけてくださいね。
定置網漁師
大窪さんOhkubo
プロフィール
大窪諒慈(おおくぼ りょうじ)
1994年石川県生まれ。2013年に海士町へ移住。
網お越し(漁)、出荷作業(水揚げ)、漁場や漁具の管理。
朝イチで漁をして出荷します。その後は網の修理や、船の整備、沖にある仕掛けの調整や掃除など。
定置網の魅力
大敷(大型定置網漁)は、日本では400年以上前から続いている伝統ある漁法です。海士町にも350年前に大敷があったとされています。待つ漁法と言われている定置網は、海がくれた恵みだけを受け取る漁です。おかわりはできません。長くこの漁法が続いている理由としては、このような環境面に優しい部分と、地域経済に貢献できる部分を併せ持つからでは無いでしょうか。一度の漁で沢山の種類を漁獲し、比較的地域に安定的に供給できる定置網漁は、漁村にとって重要な役割を担っています。春に対馬海流に乗って北上する魚、冬に南下する魚、隠岐ならではの「寒」と「暖」を兼ね備えた四季折々の天然の地場水産物を、多くの人に味わって欲しいと思っています。

島食の寺子屋生徒に学んだり感じてほしいこと
島食の寺子屋の生徒さんは、島にある食材で調理されていますが、まさしくそれは料理漫画で見た世界だといつも感動しています。美味しいものがどんどん簡単に手に入るような世の中だと思いますが、そんな中での料理の役割、食の本質など、色んな生産者とつながりながら学んでいただけたらと思います。

しいたけ農家
福井さんFukui
プロフィール
福井 智士(ふくい さとし)
1972年兵庫県生まれ。2006年に海士町へ移住。
お仕事の内容を教えてください。
メインでしているのが伐採とか草刈りとか林業やね。
それプラス副業的に、原木椎茸栽培であったり、サツマイモ栽培とか畑とかをしています。

原木椎茸栽培を始めたきっかけは
子供たちに見せてやろうと思って始めました。
都会から移住してきて、きのこは本当は木から生えてくるというのを見たことがなかったから、それを見せてあげようと思って。最初は5本の木で始めて、今で栽培は20年目やね。
栽培を続けていくなかで、全国の椎茸のことを色々と勉強したね。
色んな椎茸を作るにはどうしたらいいんかなとか。その中で色んな人と出会って、色んな知り合いも増えて、販路とかも増えて。
実際にずっとやっていたら分かってくることがあって。
椎茸とかでもその年の気候によっても変わってくるんやけど、沢山とれるようにはなってきたね。
他の野菜を作っているのも同じような理由で育てています。
子供たちに、野菜が実際に育っていくところを見せてやろうと思って始めたのがきっかけですね。

お仕事のやりがいは?
リアルになんでも体験することや。
木でも自分でなんでも伐採するし。伐採した木を運び出すときもめっちゃ重いし。
畑も、土づくりから、なにからなにまで自分でやるからな。
そういうリアルに触れる、ってことやな。何に対しても。

いつまで続けるかは体力との相談で。じじいになってきたら、こんな重い木は担げへんしな。
伐採とかするのも危険やしな。今までのところは大きな事故とかはないけど、もし何か間違いがあれば死んでしまうような危険と隣り合わせやし。
年齢とともに反射神経とか体力とかも落ちていくから、できたら少しずつ農業の方にシフトしていきたいなと思っている。体力が続く限りは続けていきたいなとは思っているけど。農業をしているのは、ちょっとでも自給自足をしたいのもあるね。自分らで育てた野菜を自分らで食べて、子供たちに収穫させてやったりとか。

島での暮らしについてアドバイス
都会やったらコンビニもあるし、便利なものが沢山あるけど、こっちはないからな。
便利さがないから、今日ご飯作るのがめんどくさいから、どっかで買ってこようかなというのができないし、そういう不便さに我慢できるかなというのと。
気分転換もそうで、映画見に行ったりするところもないし、服を買いに行ったりするところもないやんか。そういう中で、自分がどれだけ楽しめるかやし、田舎には田舎の楽しみ方があって、家庭菜園をやったりとか、山菜を採ってみたりとかさ。魚釣りもそうやし。田舎ならではの楽しみ方を見つけられるかどうかやな。

島食の寺子屋生徒に学んだり感じてほしいこと
リアルさやな、やっぱり。
snsとか本とかで見知ったことではなくて、ここやとリアルに体験できるからな。
木を持つのでも重い、しんどいっていうのをリアルに体験してほしい。
そうすると、なんで原木椎茸栽培の農家さんが減っていくのかとか、菌床栽培との味の違いとか、そういうのが分かるからな。
あとは、そういうのを自分がしたいのかどうかっていうのを、ちゃんと持っとかなあかんわな。
やってくれるから体験するとか、行かされるから行くとかじゃなくて、チャンスがあったら自分からも声掛けして体験していくとかしないとチャンスは減っていくし。
自分から質問をしたり、話しかけていったりとかしないと、学校の中だけの世界で終わってしまうし。逆に自分から話しかけていけば、学校以上のものが得られるし、自分次第な部分もあるね。

畜産/酪農
掛谷さんKakeya
準備中
海士町役場 地産地商課
島村さんShimamura
プロフィール
1999年埼玉県生まれ。教育学部卒業後、飲料メーカー営業職を経て、島留学をきっかけに海士町に移住。現在は海士町役場(地産地商課)に所属し主に農業の担当をしながら休日は野菜作りや稲作に挑戦している。

今のお仕事
農業経験ゼロの島留学生たちと一緒に、島の農業や地産地消について考え「ひとつひとつ試しては失敗、ときどき成功」を経験すること。またそれに伴う地域の方の生の声や産物ができたときのうれしさがやりがいです。
島内の農家さんと農業プロジェクト所属の島留学生を繋げることで、人の循環・作物の循環・思いやりの循環など、農業プロ生が島で繋がりを持った農業ができるように心がけています。

今後の目標
将来的には農プロ生または島内の農家さんと、島食の寺子屋さんを繋げて、計画栽培した作物を寺子屋さんに活用していただきたいです!

みかん/梅農家
丹後さんTango
プロフィール
1990年島根県雲南市生まれ。2013年に海士町へ移住。
農家を始めたきっかけ
そもそも「崎みかん再生プロジェクト」というものがあって、崎地区で昭和30年~40年にかけて、みかん栽培が盛んだったんですけど、一度衰退してしまって。
それを復活させるという動きが2010年代に始まって。
そのプロジェクトメンバーの一員として海士町に移住したのが始まりです。
移住から何年かした頃に、梅もやってほしいという声掛けもあって、今は梅とみかんの農家をする、和歌山県の農家のようになったというところです。ただ、最初から農家になったわけではなく、プロジェクトメンバーとして地域おこし協力隊となり、メインは農業をするという形で約6年間ほど町に支えてもらっていました。そのあとに独立をして、今の形があります。
僕の畑だけで、みかんが1,000本くらい、梅が70本くらいあります。
最初は高さ40cmくらいの苗を買ってきて、1,000本を畑に手で植えたり土づくりをするところから始まって。今はようやく2mくらいまで育っていますね。

梅は崎地区で梅干しを作ろうという案があって。そもそも海士の塩というものが先にあって、その海士の塩を使った特産品を作ろうという流れで、崎地区にある梅の木で梅干しを作ったらどうかということになって。
「蘇婆訶梅(そわかうめ)」というのを製造していたんですけど、製造メンバーの高齢化が進んできて、若い人に引き継いでほしいということで声掛け頂きました。
最初はみかん農家になるつもりだったので、梅もするって話を聞かされた時は、どうなのかなって思ったんですけど。収穫のスケジュールになっちゃうんですけど、梅はだいだい2月ごろに花が咲いて6月に収穫、みかんは逆に6月頃に花が咲いて10月頃に収穫が始まるという。ちょうど半年間スパンで収穫サイクルがあって、和歌山とかもそうなんですけど、梅とみかんの期間が被っていないので、一緒にする果樹としては相性が良かったです。

海士町で農家をする魅力
感覚的な話ではあるんですけど、やっぱり海が近いので、ミネラルというか塩の影響を物凄く受けていて、いい意味でも悪い意味でも。やっぱり塩害もあって、隠岐の海の中は岩でごつごつしていて、波が高くなると海水のしぶきが上空に舞って、高濃度になって降り注ぐっていうのが塩害なんですけど。
それが葉っぱだったり果物にとっては悪影響で。ただ、良い側面もあって、ミネラルを補ったり。みかんにしたら、酸味があって甘みがあることにも繋がっているのかもしれない。同じ品種であっても全然味が違っていて、隠岐ならではのものすごくインパクトのある味です。パンフレットに甘くて酸っぱいみかんって書いてあるんですけど、まったくその通りの味だと思っています。そういう特徴は隠岐の風土に紐づいているんじゃないかなって思います。

海士町で農家をする大変さ、やりがい
やはり産地ではないので、隠岐の環境に合わせて自分で考えて栽培をしていくのが大事です。
梅は自然栽培でやっているので、草刈りとか剪定くらいしかすることがないんですけど、みかんだったら農薬も含めて勉強をするというか。いつどんなタイミングでどのような施策をするのかということを考えながらですね。
みかんのことを教えてくれた師匠が瀬戸内海の方にいて、その人たちにも聞くことはあるんですけど、やっぱり自分で本を読んだり調べたりもして、どういうことをするのかを自分で考えてするのも大事だし。
あと、隠岐は日本で一番みかん栽培にとって厳しい環境だとは思っていて。寒さが一時的であれどマイナス6度くらいいくこともあるし、雪も降る時は30cm50cmほど積もるので、産地としてこれほど雪が降るところもない。というので、小規模ではあるんですけど、一番厳しい環境で自分で学び考えながら農家をしています。
今年のみかんの収穫が12トンで。梅の場合は2トンほど採れる年もあれば、500kgほどしか取れない年もあって、かなり波がありますね。みかんは安定して10トンくらいの収穫量が保てるようになって、生活の基盤になるほどにはなってきています。

今後の展望は
味に関して、酸味があって甘みがあって、という独特のインパクトを与えられるようになっているんですけど、もう少し糖度を上げたりして、「酸味があって甘みがある」というものをもっと突き詰めていこうと思っています。
それは、そもそも隠岐というのは作れる環境にあると思うんですけど、肥料だったり堆肥だったり農薬だったり、色んなものを組み合わせて、追求していこうと思っています。
島食の寺子屋生に学んでほしいこと
島食の寺子屋へ学びにくるということは、通り一辺倒に料理の技術だけを学びにきているんじゃなくて、感性を学びにきていると思っています。海士町のスローガンに「ないものはない」というものがあって、本当に寺子屋の生徒達を見ていると、「これは食べられそうだな」とか「これはつまにできるんじゃないか」とか、飾りつけにできるんじゃないかとか考えることが多くなるのかなと。自分の眼でみて、匂いをかいで、感じたもの全てを料理に織り交ぜることができるし、そういう料理人になれるんじゃないかと思っています。
みかんと梅とかだと、収穫が年1回しかないので、僕とは限定的な時期での関わりにはなるんですけど。それぞれの品種についてだったり、味のこと、硬い柔らかいとか、酸味や甘みとか。梅もおんなじで、品種がもっている特徴とかを、僕だけじゃなくて色んな農家さんに聞きながら、勉強してもらえればなと思います。

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